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知覧、特攻平和会館

鹿児島県の知覧町は、鹿児島空港から車で約1時間半ほどの薩摩半島の
中ほどにある、静かな景色のいい町です。
また、島津氏の外城だった知覧は、国の重要伝統的建造物群に指定され、
道の百選にも選ばれていて、歴史の重みを感じます。

その知覧は、特攻の出撃した基地としてたくさんの人が訪れています。
アメリカ軍の艦船に500キロ爆弾や、魚雷を積んで体当たりを目指した
みな、20歳前後の若者たちがここから帰らぬ人となりました。
遺影はみな顔立ちが、しっかりしていて、生きておられたら、皆、それぞれの分野で
リーダーとなられた方ばかりではと思います。

国家が国民に求めるのは、税金や、選挙にいくことだけではありません。
死ぬことを求めるのです。 それは、昔も今もまったく変わりません。
たまたま、昭和20年以降に生まれた人は、現在まで求められなかっただけで
将来どうかはわかりません。 いくら、平和憲法とか、人権とか、お互いに冷静に
などと言っても、相手が聞く耳持たねばどうしようもありません。

しかし、現在の日本では、自分の子供や身内に、死を求められたら、
などと想像することもできません。 せめて、特攻隊の隊員の、
「ご両親様、今まで育てていただいてありがとうございます 親孝行を
何もできずにお許しください」  
などと書かれた遺書を読ませていただいて、このような若者たちがいたという
事実を忘れないようにしたいと思いました。
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by minamihorie | 2006-09-03 20:42 | 日本的社会主義社会  

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