満州の阿片王
2005年 12月 20日
佐野眞一氏著、「阿片王」 満州の夜と霧 を読んでいる
図書館で予約していたが、思ったより早く番が回ってきた。
年末なので3週間借りることができるのがうれしい。
おっさんの父親は、いわゆる関東軍配下で、終戦を奉天(瀋陽)でむかえた。
ソビエト連邦は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、満州に攻め込んできた。
そのときわが国は、トルーマンに原爆を投下され、ノックダウン寸前であった。
火事場泥棒とは、よく言ったものである。
以後60年、一言の反省の言葉も、謝罪の言葉もなく、国後、択捉などの
領土も占領されたままである。
父親は、シベリアで、石炭掘削という強制労働にこき使われ、もう少しで
シベリアの土になるところ、かろうじて、引き揚げ船で舞鶴に戻ることができた。
だから、うちでは、ソビエト崩壊のとき喝采をあげたのである。
おっさんは、そういう経緯で、満州国に関する本は、読むようにしている。
といっても、知れたものであるが。
阿片王は、里見氏という、満州国で、阿片の取引と、諜報活動に携わり、
戦後A級戦犯として、訴追された一人の男の足跡を追う話である、
まだ、70頁あたりなので、まだまだ、これから楽しめる。
おっさんの父親は、すくなくとも自分の部隊は、中国人を殺したり
中国人の財産を奪ったことなど一度もなかったと言っている。
中国人は、家の外で食事する習慣があるが、自分たちよりいいものを
食べているのを何度も見たと言う。 中国人にとって、その時代は
いつも内戦状態だったので、日本の支配地域のほうがはるかに安全だったという。
おっさんは、親の言葉を信じたい。
図書館で予約していたが、思ったより早く番が回ってきた。
年末なので3週間借りることができるのがうれしい。
おっさんの父親は、いわゆる関東軍配下で、終戦を奉天(瀋陽)でむかえた。
ソビエト連邦は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、満州に攻め込んできた。
そのときわが国は、トルーマンに原爆を投下され、ノックダウン寸前であった。
火事場泥棒とは、よく言ったものである。
以後60年、一言の反省の言葉も、謝罪の言葉もなく、国後、択捉などの
領土も占領されたままである。
父親は、シベリアで、石炭掘削という強制労働にこき使われ、もう少しで
シベリアの土になるところ、かろうじて、引き揚げ船で舞鶴に戻ることができた。
だから、うちでは、ソビエト崩壊のとき喝采をあげたのである。
おっさんは、そういう経緯で、満州国に関する本は、読むようにしている。
といっても、知れたものであるが。
阿片王は、里見氏という、満州国で、阿片の取引と、諜報活動に携わり、
戦後A級戦犯として、訴追された一人の男の足跡を追う話である、
まだ、70頁あたりなので、まだまだ、これから楽しめる。
おっさんの父親は、すくなくとも自分の部隊は、中国人を殺したり
中国人の財産を奪ったことなど一度もなかったと言っている。
中国人は、家の外で食事する習慣があるが、自分たちよりいいものを
食べているのを何度も見たと言う。 中国人にとって、その時代は
いつも内戦状態だったので、日本の支配地域のほうがはるかに安全だったという。
おっさんは、親の言葉を信じたい。
by minamihorie | 2005-12-20 19:52 | 学习中文