日本人租界で

金子光晴は、昭和をエロスと旅と詩の創作に生きた
大変エキセントリックな男であったそうだ。
同じ女性とでき婚したうえ、その女性と生涯
3度も入籍、離婚を繰り返し、ほかにも
いい女を見つけると、すぐ仲良くなった。
さらに、何年間も放浪のような
バックパッカーの教祖のような旅をした。

現代と違い、因習と目に見えない束縛の多かった
時代に、おっさんが思うところ、良いにしろ
悪しきにしろ、自分の判断だけで人生を疾走した
男だったと思う。

そんな金子光晴は、大陸流浪の旅に出るとき
まず足がかりにしたのは、上海だったようである。
そして、虹口のあたりに仮住まいしていたようだ。

地下鉄3号線の東宝興路から虹口足球路までを
歩いてきた。 途中の多倫路は、観光地として
日本人相手に知名度を上げるためか、道路を
掘り返して歩きにくくてしょうがない。
 
おっさんは、多倫路や、内山書店跡より
甜爱路の軍の学校施設で訓練していた兵士の
姿のほうが興味があったが。
確かに古い家屋は残っていたが、
中へ入り込んでいくわけにもいかないので
散歩しただけでした。



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内山鑑三は左派の啓蒙家で魯迅とも親交があった

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by minamihorie | 2011-05-19 06:11 | 学習中文 | Comments(0)  

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